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5月16日

玄 月
[文芸学科 教授]

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玄 月[大阪芸術大学 文芸学科 教授]  担当授業:小説論、卒業論文・制作

1965年大阪市生まれ。高校卒業後に様々な職業を経験し、自ら同人誌『白鴉』を創刊して執筆活動を始める。

「舞台役者の孤独」(『文學界』1998年12月号)で第8回小谷剛文学賞。「蔭の棲みか」(『文學界』1999年11月号)で第122回芥川賞受賞。著書に『蔭の棲みか』『悪い噂』『寂夜』『異物』『眷属』『めくるめく部屋』『狂饗記』他多数。2013年より大阪芸術大学にて教鞭を執る。

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2023年5月12日

 

▶︎「読む喜び」を人に与えたい、その志と継続こそが創作の扉を開く

 

模索の中で自らの表現を見出し、デビュー2年後に芥川賞を受賞

  私が芥川賞を受賞したのは34歳の時。作家としてデビューしてからわずか2年後のことです。文壇というものの事情もあまりよくわからないまま、あれよあれよという間に大きな賞をいただいてしまって、実感や喜びが今ひとつ薄かったように思います。それよりも、自分の小説が初めて商業誌に掲載された時の感激の方が大きかったかもしれません。

 初めから作家志望だったわけではなく、昔はやんちゃで、作文も満足に書けない子どもでした。高校を卒業して仕事を転々としつつ楽天的に過ごしていましたが、このままではいけないなと。「書くこと」への関心が芽生えたのは20代半ばを過ぎてから。勉強は苦手だけれど、本好きな姉の影響で大江健三郎や中上健次、ウィリアム・フォークナー、ジョン・アーヴィングなど様々な小説を読んで「読む喜び」は知っていました。自分もそんな面白い小説を書いてみたいと思ったのです。

 レストランや町工場で働きながら小説を書き、片っ端から新人賞に応募したものの、一次選考にすら通らない。何とか打開策を見つけようと、29歳で大阪文学学校に入学。そこで作品を人に読んでもらい批評されて、ようやく自分の書いたものを客観的に見られるようになってきました。それまでは手探りで色々なジャンルに挑戦し、駄目ならまた次にと方向性も定まらなかった。初めて評価を得られたのは、在日2世という自分のアイデンティティを題材にした作品でした。小説の書き方は人それぞれで、未知の世界を空想して描く方法もあれば、自らの経験や知見を基に構築する方法もある。自分は典型的な後者だと気づきました。

 デビューの足掛かりになったのは、大阪文学学校の仲間と立ち上げた同人誌です。そこで発表した作品が、同人誌の優秀作として『文學界』に掲載されたのです。小説はあくまでも一人で書くものですが、私の場合は人と作品を批評し合う経験、そして仲間と同人誌を作ったことが、プロへの道につながりました。

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「蔭の棲みか」:第122回芥川賞受賞作「蔭の棲みか」に、第121回芥川賞候補作「おっぱい」など2篇を併録。

「異物」:自己存在を安穏と肯定できぬ者の焦燥と破壊。かつて住民の半数が朝鮮人だった町。そこで育った者と、新たに半島から移り住む者とのイントレランスな状況から事件は起こった。謎を追い疾走する傑作長編。

「眷族」:世代を越え逃れられない血の絆。膨大な財産、絡み合う系譜。戦前から現代まで、愛情、憎悪と欲望とを交錯させながら世代を重ねてきた人々を、精緻にして苛烈な筆致で描く、息をもつかせぬサーガ。

「悪い噂」:その男は町の人たちに「骨」と呼ばれていて、悪い噂の多いことで知られていた。今なお集落に語り継がれるあの凄惨な事件の真相は…。芥川受賞作よりも熱くて荒々しく、躍動的で、どこか神話めいた第二作品集。

 

1%のひらめきを磨き続け、さらに新たな創作へと向かう

 小説を書き続けるのは人生と同じで、うまく行く時もあれば、そうでない時もあります。小説にしろ絵画にしろ、芸術の世界には数学や物理のような正解があるわけではありません。進むべき方向を見極めるのは難しく、迷路に入るとなかなか抜け出せなくなってしまう。スランプに陥ったらもがき苦しみつつ光が差してくるのをひたすら待つしかないのです。

 私の場合は日常生活のふとした瞬間、自転車に乗ったり風呂に入ったりしている時によくアイデアが浮かぶのですが、そのうちの99%は単なるゴミ(笑)。ほんの1%しかない本物のひらめきを大事に磨いて光らせるのです。今感じていること、直面している状況が、時間をかけて発酵し、数年後にすごい小説になるかもしれない。コロナ禍で世界中が混沌としている現在の状況も、距離を置いて俯瞰し、どこか斜めに見ている自分がいます。それは小説家の性かもしれません。

 今までに10数冊の本を出してきましたが、完璧だと自分で納得できたものはまだありません。まだまだこれから、今まで世の中になかったような面白い小説、人を楽しませる素晴らしい作品が書けるはず。その確信が、新たな創作に向かう原動力になっています。

 

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左)音楽にも傾倒。多彩な芸術にふれてきた経験が執筆にも反映される

右)手書きでの課題添削

 

周囲の声から「気づき」を得て、オリジナリティや技術を伸ばす

 大学の教員にという話をいただいた時、最初は小説の書き方を教えるなんて無理だろうとためらいました。ただ、学生の作品を読んで、こうすればもっと面白くなるという指摘はできる。それなら批評や分析を通して小説について考え、伝えることもできるのではないかと思いました。頭の中に漠然としかなかった「小説とは何か」という命題を、人に教えることで言語化し明確にしていくプロセスは、自分にとっても収穫になりました。学生たちから学ぶことも多く、彼らが関心を持つ事柄を知って若い感覚を観察できるのも良い刺激になっています。

 これまで多くの学生と接してきて感じるのは、「気づき」がある人は伸びるということ。合評では教員や同級生が作品に対してあれこれ言いますが、それを全て鵜呑みにしても良いものにはなりません。様々な意見の中で何を受け入れるべきか、自分自身で取捨選択できる力が「気づき」であり、それが作家として必要な技術やセンスを育ててくれるのです。

 小説を書きたいというに人は、今までに小説を読んで感動した経験が必ずあるはずです。面白い本や素敵な本に出会った時の喜びを人に与えたい。その湧きあがるような欲望が、執筆の一番の動機なのではないでしょうか。ものを書くのは地道で孤独な作業ですが、その思いをいつまでも忘れないでいてほしいのです。

 うまく書けないうちは好きな作家の模倣から始めてもいい。どんな芸術においても、先達を真似ることから新たなオリジナリティが生まれるもの。私自身も面白いと思った本の影響を受けては試行錯誤を繰り返し、自分のスタイルを作りあげてきましたから。小説という「文章の芸術」は、人の目にふれて初めて価値を持ちます。今はプロ作家への門戸も多彩になっているので、たゆまず、あきらめず、執筆を継続してほしいと思います。

 

文芸の学びから自身を磨き、コミュニケーション力を高める

 文芸学科で学んでいるのは、なにも作家志望の人ばかりではありません。目的や志向が何であれ、文芸の学びによって真に磨くべきは、コミュニケーション能力であると私は考えています。自分の伝えたいことをどうすれば正しく人に伝えられるか、人の意図をどうすればきちんと正確に受け取れるか。その力はあらゆる分野で欠かせないものだからです。

 そうした意味でも「書く」「つくる」とともに「読む」「受け取る」は重要。人の書いたものを読み、自分の書いたものを人に読んでもらって、リテラシーを高め、コミュニケーションの力を鍛えましょう。どちらも量をこなすだけでは意味がなく、質を追求してこそ成長につながります。一つの文、一つの言葉にこだわって読み、書くことを心がけてほしいですね。

 通信教育部には年代も人生経験も幅広い受講生の方がおられますが、一人で自宅学習を続けるのは大変なこと。スクーリングという文芸の世界にどっぷり浸る機会をいかし、多くのことを吸収してください。原稿を挟んで教員や仲間と真摯に向き合い「読む」「書く」に耽る体験を、存分に楽しんでいただきたいと思います。

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スクーリング「小説論」授業イメージ